「おまんじゅう」そのひとことだけで
はるか昔…わたしが小学1年のとき。
担任だったキムラ先生は
明るくてユーモアもあって
愛情あふれる教育をしてくださったベテランの女性教諭。
その先生のお話の中に、たびたび「おまんじゅう」という単語が出きたものでした。
「和尚(おしょう)さんがおまんじゅうをひとつ…」
「タカシさんが、おまんじゅうを三つ食べたら残りはいくつ?」
と言ったように。
キムラ先生のそのフレーズだけで、そのおまんじゅうは
すっごくおいしいものなのだろう!と伝わってきて
無性におまんじゅうが食べてみたくなったものでした。(笑)
先生はおそらく「無意識」だったのでしょうが
「おまんじゅうは甘くてとってもおいしいのよ!」
というニュアンスが「おまんじゅう」のそのひとこと内に
ぎゅっ!と含まれていたわけです。
その「おまんじゅう」がどんな形か、やわらか具合はどうか?
持ったときの感触、重さ、
口に入れたときの触感、甘さ、香りは…?
キムラ先生は、おそらくそれらのイメージを持っていたので
自然と「おいしいおまんじゅう」が表現できたのでしょう。
読み聴かせにおいても、同じことが言えます。
「おまんじゅう」という単語だけでそれが「どんなおまんじゅうなのか」聴き手に理解させなければいけないのです!
が、これはほんとに難しくて高度な技。
意識するとなかなか出来ないものです。
でも!わたしたちは、日常、
キムラ先生のように、知らずに表現しているのです。
たとえばこんなふうに。
次のセリフを、『甘いものが大好きなので、隣からおいしいおまんじゅうを貰って
すごくうれしかった!』という気持ちで言ってみてください。
「きのう、お隣からおまんじゅうをいただいてね…!」
どうでしょう?意と簡単に言えたのでは?
日常、こんなふうに誰かに自分の体験を話しますよね?
そのとき相手は理解し、共感してくれることもありますよね?
ふだんの会話で、喜怒哀楽は充分伝わってる、
つまり、わたしたちは自然と「おいしいおまんじゅう」を表現することは出来ているのです!
では逆に、甘いものはが苦手なひとだった場合はどうでしょう?
眉間にシワを寄せながら、いや~な気持ちをこめて次のセリフを言ってみてください。
「きのう、お隣からおまんじゅうをいただいてねぇ…!」
はい。どんな「おまんじゅう」になりましたか?
きっと、前とは明らかに違った「おまんじゅう」になったと思います。
ちなみにここで「お隣」を強調してしまうと。「お隣さんとは折り合いが悪い」というニュアンスも作れますね(笑)
どうですか?ひとつひとつの意味を考えて読むのが
楽しくなってきませんか?
「自分ならこう表現するかな」といろいろなパターンをあれこれ考えるのも面白くて
「ひとつ上」の、味のある読み聴かせにつながっていくと思います。
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