20歳のとき初めてヨーロッパにいって
あるキリスト教の古い教会に足を踏み入れたとき、
いままで経験したことのないその荘厳さに圧倒され
ぽろぽろと涙がでてきた。(わたしはキリスト教徒ではありません)
あれはたましいで感じて、たましいが涙しているのだと、だいぶ経ってから知った。
美しいものには神が宿る
そして誰の心にも「神我」が宿っている。
そう、実はわたしたちはどんな悪いヤツも酷いヤツもみ〜んな神さまなのだそう(できそこないの)。
いまの時代を生きている子どもたちが
どれだけ「神」に触れることが出来ているのだろうかと
老婆心ながら心配になる。
ポップなものは元気があって楽しくなっていいけれども
そればっかりではなく
真善美……自然もそうだけど
芸術作品や建築物、音楽など、心の健康のためにも肌で感じることは必須だと思っている。(それもデジタルではなく、ね)
わたしも、流行りの音楽を聴いたり口ずさんだりすることがある。
たまたまわたしが気になるだけかも知れないけれど
「頑張って生きよう」
「ともにたたかおう」
「自分らしく」
とか、まるでゆるく生きたらダメとばかりに「必死に生きなきゃいけない」歌詞が多くてしんどくなる。
言われなくても、わたしたちは頑張って生きてるよねぇ。
小さな子どもたちがたましいに響くような「美しいもの」に触れられるよう、オトナが意識して導いてあげなくてはだけれど、オトナも知らなかったりするのかもね…。
心の中の神を、たまにはよろこばせたいね。
【本日のコラージュ】
↑子どものとき満開の桜を見てもなにも感じなかった…。心が凍ってたのかなぁ。
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